続:ヒトとカミ

前回の内容の例として面白い一例が
「アイドルオタク(通称ドルオタ)」である。

憧れの存在を「神(に類するもの)」 に据える人は、その存在に
強い神秘性を求めその存在の個人情報を秘匿することを望み
(=綺麗なお人形であって欲しい)
文字どうり崇め奉るのである。
これは昭和的発想。

憧れの存在を「ヒト」 に据える人は、その存在に
強い親近感を求めその存在の個人情報を公開することを望み
(=手の届く存在であって欲しい)
憧れの存在に対し物欲を掻き立てられるらしい。
これは平成的発想。

「ファン」としては同じでも、
ある視点では、指向している方向性が真逆なのである。
しかし、対象を物質的な視点で見るという点においては、
引き継がれ、かつ強化されているといえる。
これはなかなかおもしろい。


優秀なアイドルディレクターというものは、
その時代の、ファンとなる素質を持った人間が
どちらを欲しがっているかを正確に見極める必要があるのだろう。